有限会社永沼工業
2. 障害者雇用の経緯(1)きっかけ平成14年、長崎市内の大手造船所が大型船建造することになり、当社でも大量の船用ダクトの製造を受注したが納期が限られていたため、多数の臨時社員の募集を行うこととなった。 この中で、ハローワークの知的障害者職業相談員から障害者の雇用について相談があり、製品納入の期日に余裕が無く、人手は欲しいため、知的障害者について何の知識もないまま相談員に面接を了解し本人と会うこととなった。 改めて考えればこのことが知的障害者の雇用を考えるえるきっかけとなったといえる。 相談員とともに面接に来たAさんは、素朴な感じの小柄な青年であった。挨拶や返事は良いが仕事の経験が製陶会社での補助作業だけと聞き多少心配しながら、本人のぜひ働きたいという気持が「お願いします、お願いします」に込められており実習を始めることとした。仕事内容はダクト管に防熱用の織布を巻き付け固定するという簡単な作業であったが、あまり器用でなく3週間程度の実習のみで終了することとなった。同じ時期に軽度の下肢障害を持つ若いBさんを臨時雇用していたが、Aさんに作業手順を教えたり手伝ったりと良く面倒を見ていたものの雇用へ移行することは出来なかった。 このことが障害者の複数雇用を考えるきっかけとなったと思う。 (2)雇用への取り組み15年11月聴覚障害者Cさんを鉄工として1名雇用。 臨時に発生した大量のダクト工事が一段落した平成16年8月下肢障害(軽度)のDさんをNCオペレーターとして雇用、CAD操作により鉄板の効率的な切断図を制作するために事務室(4階)と1階の現場を行き来して毎日がんばっている。 同年9月に長崎市で開催された「障害者合同面接会」に参加し聴覚障害者1名(溶接工)Eさん、知的障害者1名(組立工補助)Fさんを雇用した。 Fさんについては前回の経験を生かして、雇用継続を図るため、業務遂行援助者を配置し指導援助を行うこととした。援助者の配置に係る経費負担については納付金制度に基づく助成金を活用している。 聴覚障害者のCさんが17年3月に自己退職したことから、同年3月聴覚障害者で溶接経験者のGさん、19年5月にHさん(トライアル雇用利用)と雇用を増加していった。 20年8月には知的障害者Iさん(トライアル雇用利用)をダクト工として雇用することになり、現在では、業務の拡大に伴い従業員数も15年当時の40名から94名と増加したが、雇用障害者数も6名となり内4名が重度障害者である。 ![]() NCオペレーターとしてCAD操作に励むDさん
![]() 鉄工・溶接作業中のEさん、Gさんと一般社員
![]() 組立作業中のHさん
![]() 社員がみんなで利用する食堂、専務手作りのみそ汁などが出される。
(3)障害者雇用に対する工夫・ 知的障害者に対して (Fさん(重度)) Fさんは鉄工関連の経験があったが雇用時の年齢が48歳で、仕事の経験があるだけに頑固で援助者の指示を素直に聞かないことがあり、社長に「仕事を辞めるか?」と叱られると落ち着くという状態を何度か繰り返していた。社長、専務の気配りにも拘わらず援助者との関係がいよいよ悪化していったため配置換えを行い、仕事内容もゆっくりしている特殊塗装補助とし援助者も変更した。現在は落ち着いて仕事に励んでいる。これらは知的障害者の特性の一部であると認識して今後も見守りながら雇用継続を図りたい。 生活面では、保護者が高齢であり自宅を離れ支援関係施設から通勤している。 ・ 聴覚障害者に対して 聴覚障害者のためのパトライトは、工場の大きさ、機械の設置状況等から設置していないが、作業場所を出入口近くに設定することで、危険時の連絡、誘導などが容易となるよう工夫している。 また、3人の聴覚障害のある従業員のうちGさんを、リーダーと位置づけ2名の相談役としている。理由としては、年齢的に最も高いこと(現在64歳)、溶接鉄工の経験も豊富であり、人格も誠実で真面目であること、何より聴覚障害のある従業員の信頼が大きいことから社長が判断したものである。Eさんは人なつこい明るい性格がみんなに愛されており、Hさんは真面目でこつこつ作業するタイプで欠勤したら辞めさせられるとの思いから欠勤もなく勤務している。 Hさんはバイク通勤で別行動となるが,Gさん,Eさんは出勤をともにしている。また、仕事内容の伝達や担当者の説明などの通訳はGさんが他の2名に行い、十分に分かったかの確認もする。このことから事業所内に手話通訳者がいなくても十分にコミュニケーションがとれているが、今後については検討の必要を感じている。 3人とも子ども達も成人、大学生と安定した家庭生活を築いており働くことに喜びを感じて活き活きと働いている。 |